フットサルクラブINTRO.メンバーによる交換日記式ブログ。
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前世の記憶
2009-03-18 Wed
じゃすてぃです。


最近、ぶらっとひとりぷらぷらが流行ってるんですか?
お買い物やら、一人旅(?)やら、楽しそう

さゆりんが銀座でどんどん買い物すれば
日本の景気もよくなる・・・・かもかも(?)

「ひとりのうた」って、知らなかったんだけど、
かつて某氏の『ONENESS』を聴いたときみたいに
“こういう歌もありなのか・・・!”って思った




この前のブログで、かずよさんが「胎内記憶」について書いてましたが。

それで、思い出しました。

胎内記憶より、さらにさかのぼって・・・・
“前世の記憶”が残っている場合があるとかないとか。

ま、ちょっと、オカルトちっくな、あやしい話ですね

Googleとかで「前世の記憶」と検索すれば(俺もさっきやってみたんですが)
すんごーい数のサイトにヒットしたりして。
詳しく知りたい方は、どうぞ検索してみてください。

簡単にいうと、人は死んでも生まれ変わるとかで。

生まれてきた子供が2、3歳の頃から
“前世の記憶”とやらを話し始める、と。

ほんとかうそかは知りませんが、
子供の話すとおりの場所に行ってみて調査したりすると
ほんとにそういう人物が過去にいたりしたとか何とかで。

で、それを確認すると同時に、子供の前世の記憶も消えていくそうです。
だいたい、前世の記憶は8歳頃に消失するんだそうな。



信じるかどうかは、まあ人それぞれですし。
記憶を貯蓄しているのが脳という器官である以上、
前世の記憶があるとは科学的には思えませんが。
(そもそも、前世があるのかさえ、非科学的ですし)


でも、世界中で、宗教や人種を問わず、
“前世の記憶”を持つ子供についての似たような逸話がたくさんあるのだとか。




そういえば。我らが徳永英明氏。

輪廻転生・・・・人は死んでも生まれ変わる・・・というテーマで
シングルを出しておりましたね
スキマスイッチの大橋卓弥さんともコラボが実現した『永遠の果てに』。

徳永氏のテーマを具現化すべく、山田ひろし氏の作詞でおます。

山田氏は、徳永氏の影武者のように、本人以上に本人の思いを言葉にできる作詞家。
Nostalgiaに収録されている『Jealousy』も山田氏の作詞でした。

徳永氏が書いたら、
“スフィンクスとツタンカーメンが
 血みどろでセックスをしているような詩になったんで作詞家に頼んだ”
・・・・でしたっけ?(徳永氏談)
で、山田氏が仕上げたのが『Jealousy』の歌詞。

『永遠の果てに』も、さらーっと聞いていると
こんなに宗教的な?オカルトちっくな感じはしないよね。
メロディーの美しさに呑まれて、中性的な感じすらする。
“僕らは何処へゆくのか”とか“その旅の終わりに”とかいうフレーズが
さらーっと散りばめられていて。

“この指でさえも土に還えるのに”っていうのが
唯一、どきっとするような、直接的な表現。

ほんと、山田氏の詩は、素晴らしかった。神がかってます。
(最近は微妙な曲もちらほら見かける気もしますが・・・)





ま、ぜひ、ネットで“前世の記憶”と検索してみてください。
“前世の記憶”

どちらかというと、背筋が寒くなる感じが俺はしましたが。
いろーんな話がネットで見れます。



どのサイトだったか、自分の子供に
「ねえ、○○くんは、ママのおなかの中にいたよね。
 でも、その前は、どこにいたのか覚えてる?」
って聴いた母親の話。
ちょっと、ひんやりしたものがこの部屋を流れました






で、俺、この“前世の記憶”を持つ子供がいるという話を、
高校生のときに、聞いたのです。(国語の授業の雑談にて)







そして、思ったこと。





「・・・・俺にも、前世の記憶、ないかな





で、それから、その日の授業の間、先生の話は右から左で。

ひったすら、自分の記憶をたどったのです。
とにかく、まずは、自分の幼い頃を思い出そう、と。
で、胎内の記憶を思い出し、そこを通り過ぎたら、きっと前世の記憶へ・・・・
たどり着くのではないかと。





結局。

自分の、一番古い記憶というのは、
二歳になったくらいの頃の記憶が最古でした。

二歳下の妹が母のおなかに入っているころの記憶が
けっこういろいろと思い出されて。
あとで照合すると、これは俺が二歳になったばかりの頃の記憶でした。


これが自分の最古の記憶。
前世の記憶はおろか、胎内の記憶なんて、さっぱり






余談ですが。

高校を卒業して大学に入学する前の春休みに、
自分の2歳、3歳くらいの記憶で覚えていることを
ワープロ(当時買ってもらったばかり)の練習として、
打ち込んで、プリントアウトしてたんです。

それを、大学三年くらいのときに引越しの片付けの最中に見つけ
読み直してみたら、「あー、そうだったそうだった」みたいなかんじで
大学に入ってハタチを超えたくらいで、
急速に幼い頃の記憶をなくしかけていた自分がいたのです。

いやー、時の流れはおそろしい。








でも。

自分が二歳とか三歳とかの頃。
親が自分にどうしてくれてたかとかを今もこうして覚えているのは
貴重な財産だと思うんです。

俺が三歳まで住んでた家って、ガスとかじゃなくて、
外で薪を燃やしてお風呂をあたためるようなお風呂で
いつも熱くて入れなかったんです。

すると父が俺の両脇を抱きかかえて、足からちょっとずつ無理やり入れるんだよね。
「あついか~?  ほーら、だいじょうぶやろ~? え?あついか!?」みたいな。

ま、他にも、言い出したら切りはないのですが。

二歳を過ぎてからは、いろーーんな記憶があり、
思い出して感じるたび、じんわりしたりするよね。

FCIメンバーでも、子供ができて、二歳を迎える子もいるんだっけ?
その子はもしかすると二歳の頃を大人になっても覚えているかもしれないよ
そんなに小さくてもね。



いろいろと、昔の記憶をたどって感じること・・・・

徳永英明氏の『四葉のクローバー』じゃないですが
小さい頃ってよく、泣くよね。

今思い出せば、泣くっていうのは、悲しいからでも辛いからでもなく、
処理能力の限度を超えたときに起きていた現象な気がする。

科学的には(?)、処理能力を超えたがゆえに、母を呼ぶ手段なのかも。




あと、もうひとつ言えることとして
たとえば「はずかしい」とか「うれしい」とか「ざんねん」とか。

いろーんな感情を人間はもつけれど、
二歳であっても、三歳であっても
たとえば、いわゆる「はずかしい」っていう感情自体は
あの当時も、今こうして三十を越えたあとも、
まったく同じだよね。

まったく同じものです。

もちろん、何に対してその感情をいだくのか(=そういう気持ちになる原因)
っていう点では違いがあるけど、
抱いた感情そのものは、二歳も三十歳も、まったく同じ。



ま、また別の機会に『壊れかけのRadio』については
ここかSOTに書きたいと思っているのだけれども。

子供とか大人とか、もっと昔は違うものだと思ったけど、
いざこうして自分が明らかな大人という年齢になってから思うには
あまり、、、というか、
大人になった今も、昔とまったく変わってない

あの、二歳ほどの自分も、今の自分も、
明らかに同じ人間だなって自分で思う。
肉体は成長して、いろんな場面に出会って経験は積むので
処理能力(対処能力?)みたいなものは変わるけれど、
俺というのは、俺という人間で、
二歳も三十歳も、かわってないんだとほんとに思うのです。



三つ子の魂百まで、でしたっけ?
あれは、まさにそのとおりではないでしょうか。




ま、そんなわけで。

いくらFCIが八周年といえども、、、

ミソジを超えるワタクシからしたら
すべて、つい最近の出来事でございます。

FCIの試合なんぞは、どれもこれも、
つい昨日のように思い出せますよ
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